JKT48ガイダ(左)とAKB48宮澤佐江(右)
JKT48ガイダがまたまた興味深いツイートをしてくれました。前回行ったファンとの「Q&A」とは打って変わり、今回のテーマは「私がJKT48に入るまで」。高校時代、JKT48のオーディションを中心にツイッター上でこれまでの歩みを振り返っています。28に及ぶツイートはなかなか読み応えがありました。
という訳で、ガイダファン必読の自伝的(?)ツイートをまとめてみましたので、以下にご紹介します。なお、今回はツイート全体をまとめて、小見出しや段落分けなど文意を損なわない程度に手を加えたことを付け加えておきます。
「私はバンテン州ラブアンで生まれました。高校だけは姉と一緒にバンドンで過ごし、今はジャカルタの大学に通っています」
-@ghaidaJKT48#masalalughaida jadi aku terlahir di labuan Banten (asli) cuman SMA merantau di Bandung bersama teteh dan kuliah di Jakartaah
2013/05/22 21:58:57
ガイダが語る「私がJKT48に入るまで」
私はバンテン州ラブアンで生まれました。高校だけは姉と一緒にバンドンで過ごし、今はジャカルタの大学に通っています。海に程近いちょっと田舎の生まれということもあって、絶対に都会で勉強してやろうと思っていました。
●バンドンで過ごした高校時代
昔はアニメーターになろうと思って芸術系の職業科高校(SMK)に出願していましたが、近くにある普通科高校(SMA)へ行った方がいいと親に言われ、最終的にはバンドンの公立高校に入りました。入学当初はなぜか分からないけど、多少の戸惑いもあったのでしょうか、特別にこれだというものは感じませんでした。でも、この高校時代に私は大きく成長しました。
気が置けない友人たちといつもおしゃべりばかりしていました。本当にあの頃が懐かしいです。実は、高校入学時のオリエンテーションでは話しかけてくれる人がいなかったんです。人目をあまり気にしない、かなりメタルが入った見かけが理由だったのでしょうか。日本人だと思われたり、ハンサムだっていろいろ噂されたりもしました。でも、ちょうどクラス分けの頃にみんなが「ファリス(ガイダ)っておしゃべりだったんだね」と言ってくれました。こうしてみんなと馴染むことができました。
高校生の頃は少しくらいは女の子らしくなってやるなんて思っていましたが、実際にはますます男っぽさに磨きがかかってしまったようです(笑)。バンドンではたくさんの友人に恵まれました。オタクから、イケイケな友人、メタルな友人などです。でも、私は学校では口数は少なく、他人に興味がないように思われていました。学校へ行く時に髪を櫛でとかしたり、化粧をしたことはありませんでした。それはまあ今もですが(笑)。でも、香水はつけてましたよ。エヘヘ。
●突然のオーディション
中学校や高校の友達には「ぜえええったい日本へ行ってやる」といつも言っていました。友人たちは叶うあてのない夢だと思っていたのかもしれません。でも、そんな時に突然、AKB48の姉妹グループであるJKT48のオーディションの話が舞い込みました。姉に強く勧められたのでイチかバチかでオーディションを受けてみることにしました。オーディションに合格するように努力していれば、いつの日か日本へ行き、ステージに上がれるかもしれないと姉は期待をかけてくれました。そして私は最終選考のためのレッスンに参加できることになり、1ヶ月の間、ジャカルタとバンドンを往復することになったのです。
私はその頃ちょうど高校3年生で、ジャカルタには誰も親戚がおらず、ちょっとツライ部分もありましたが、同じオーディションを受けた子達と友人になることができました。今では私にとって家族のような存在です。この7人の友人たちと、みんなで一緒に合格してJKT48のメンバーになろうと約束しました。一ヶ月に渡るレッスン期間の間、私はジャカルタに行くたびにオーディションで知り合った友人の家に泊まっていました。そして、とうとう最終選考の日がやってきました。
●最終選考を終えて
結果から言うと、7人の友人で合格したのはニャシュ(ディアスタ)一人だけでした。驚き、そして悲しみがこみ上げました。「なんで私たち7人が一緒じゃないの?!」と涙が止まりませんでした。毎晩のように私を家に泊めてくれた友人のことを考えるとつらい気持ちになります。私だけがオーディションに合格するなんて。なぜか分かりませんが、この事を思い出すと間違ったことをしてしまった気持ちになります。
私は初めてのファンになってくれたウタットのことを今も覚えています。AKB48のことが好きな7人の友人の一人で、今も夢をつかむために頑張っています。「合格しても私のことを忘れないでね。私はあなたの初めてのファンなんだから」と言ってくれました。私は彼女のことをこれからも決して忘れることはないでしょう。私はこうしてJKT48の一員となり、新しい世界に踏み出したのです。
●JKT48の一員として
私はAKB48と共演するために日本へ行きました。そこで、推しメンの佐江ちゃんと会うことができました。なぜか分かりませんが、私の名前を知っていてくれていました。
学業とJKT48の活動が両立できるよう、私は最終的に首都であるジャカルタの大学に進学しました。これは両親、姉、そして友人たちの希望もあって決めたことです。自分のような田舎の女の子がJKT48に入ることができたことを私は誇りに思っています。地元には私のように夢を追いかけてやろうと考えている子がまだいなかったからです。地元からももっと夢を追いかける子が出てきてほしいな。私も新たな夢を追いかけていきます。頑張るぞ!そして、もう少しで私は18歳になります。もっとしっかりした考え方ができるようになりますように。
私の思い出話でみんなのタイムラインにお邪魔しちゃってごめんね。読んでくれてありがとう。私はこれから学校の課題をやるね。バイバイ~
気が置けない友人たちといつもおしゃべりばかりしていました。本当にあの頃が懐かしいです。実は、高校入学時のオリエンテーションでは話しかけてくれる人がいなかったんです。人目をあまり気にしない、かなりメタルが入った見かけが理由だったのでしょうか。日本人だと思われたり、ハンサムだっていろいろ噂されたりもしました。でも、ちょうどクラス分けの頃にみんなが「ファリス(ガイダ)っておしゃべりだったんだね」と言ってくれました。こうしてみんなと馴染むことができました。
高校生の頃は少しくらいは女の子らしくなってやるなんて思っていましたが、実際にはますます男っぽさに磨きがかかってしまったようです(笑)。バンドンではたくさんの友人に恵まれました。オタクから、イケイケな友人、メタルな友人などです。でも、私は学校では口数は少なく、他人に興味がないように思われていました。学校へ行く時に髪を櫛でとかしたり、化粧をしたことはありませんでした。それはまあ今もですが(笑)。でも、香水はつけてましたよ。エヘヘ。
●突然のオーディション
中学校や高校の友達には「ぜえええったい日本へ行ってやる」といつも言っていました。友人たちは叶うあてのない夢だと思っていたのかもしれません。でも、そんな時に突然、AKB48の姉妹グループであるJKT48のオーディションの話が舞い込みました。姉に強く勧められたのでイチかバチかでオーディションを受けてみることにしました。オーディションに合格するように努力していれば、いつの日か日本へ行き、ステージに上がれるかもしれないと姉は期待をかけてくれました。そして私は最終選考のためのレッスンに参加できることになり、1ヶ月の間、ジャカルタとバンドンを往復することになったのです。
私はその頃ちょうど高校3年生で、ジャカルタには誰も親戚がおらず、ちょっとツライ部分もありましたが、同じオーディションを受けた子達と友人になることができました。今では私にとって家族のような存在です。この7人の友人たちと、みんなで一緒に合格してJKT48のメンバーになろうと約束しました。一ヶ月に渡るレッスン期間の間、私はジャカルタに行くたびにオーディションで知り合った友人の家に泊まっていました。そして、とうとう最終選考の日がやってきました。
●最終選考を終えて
結果から言うと、7人の友人で合格したのはニャシュ(ディアスタ)一人だけでした。驚き、そして悲しみがこみ上げました。「なんで私たち7人が一緒じゃないの?!」と涙が止まりませんでした。毎晩のように私を家に泊めてくれた友人のことを考えるとつらい気持ちになります。私だけがオーディションに合格するなんて。なぜか分かりませんが、この事を思い出すと間違ったことをしてしまった気持ちになります。
私は初めてのファンになってくれたウタットのことを今も覚えています。AKB48のことが好きな7人の友人の一人で、今も夢をつかむために頑張っています。「合格しても私のことを忘れないでね。私はあなたの初めてのファンなんだから」と言ってくれました。私は彼女のことをこれからも決して忘れることはないでしょう。私はこうしてJKT48の一員となり、新しい世界に踏み出したのです。
●JKT48の一員として
私はAKB48と共演するために日本へ行きました。そこで、推しメンの佐江ちゃんと会うことができました。なぜか分かりませんが、私の名前を知っていてくれていました。
学業とJKT48の活動が両立できるよう、私は最終的に首都であるジャカルタの大学に進学しました。これは両親、姉、そして友人たちの希望もあって決めたことです。自分のような田舎の女の子がJKT48に入ることができたことを私は誇りに思っています。地元には私のように夢を追いかけてやろうと考えている子がまだいなかったからです。地元からももっと夢を追いかける子が出てきてほしいな。私も新たな夢を追いかけていきます。頑張るぞ!そして、もう少しで私は18歳になります。もっとしっかりした考え方ができるようになりますように。
私の思い出話でみんなのタイムラインにお邪魔しちゃってごめんね。読んでくれてありがとう。私はこれから学校の課題をやるね。バイバイ~
グーグルマップを参照すると、ガイダの出身地であるラブアンはジャワ島の最西端(A地点)にあります。ガイダが通う大学がある首都ジャカルタ(B地点)までおよそ150キロ、そして高校時代を過ごしたバンドン(C地点)まで300キロの距離があるようですね。ちなみに、メロディーはバンドンの大学に通っているので、普段はB-C区間(150キロ)を往復している計算になります。
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