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会場内で募金を集めるJKT48シンディ・グラ(チームJ)

JKT48、アチェの復興に向けてファンに連帯を呼び掛ける

インドネシア・アチェ州の中部アチェ、ベネル・メリアを襲った地震から1か月。復興に向けた活動は現在も続けられている。災害によって住む場所を失った1万数千人の被災者には様々な層から支援の声が集まっている。そうした状況を受け、アイドルグループJKT48もまた、アチェの復興プロセスを支援するために手を差し伸べた。このAKB48の姉妹グループは7月29日火曜日、チャリティーイベントを開催し、震災後の復興に向けファンたちに協力を呼び掛けた。
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JKT48劇場で行われた今回のイベントは詰めかけたファンからの暖かい声援に包まれた。チームJのステラ、センディ、ジェジェ、シンディ・グラ、チームKIIIのナディラ、タタ、ヨナ、オクティがJKT48を代表して参加した。メンバー以外にも、人道支援を目的とするNPO団体「ACT」の代表者も出席し、被災地の最新情報と今後予定されている復興計画について説明した。
 
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募金を呼びかけるJKT48チームKIIIのタタ(左)とオクティ(右)

イベントは「2つの事実、1つのウソ」と題されたゲームで幕を開けた。これはメンバーがランダムに書いた自らに関する2つの事実と1つのウソをファンが当てるというゲームで、出題はセンディとジェジェが行なった。ひとりのファンはジェジェに関するウソの情報を当てることに成功したが、一方でセンディに関するウソを見抜けなかったもうひとりのファンは罰ゲームとしてファンの前でダンドゥットのダンスを披露しなければならなかった。

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罰ゲームでダンドゥットのダンスを披露するファン(左)と復興計画について話すACT代表(右)

ゲームセッションを終えると、メンバーたちは今後の復興計画について話を聞くためにNPO団体「ACT」の代表者を壇上に招いた。震災直後には多くの支援が寄せられたが、復興期に入ると支援は最小限度のみにとどまっていることが現状の課題だとACTチームは語った。ACTは現在、仮設シェルター、仮設校舎、モスクの建設や、子供たちのトラウマを癒すための精神的なサポートなど複数のプログラムを展開している。

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センディの時計とタタのジャケットの落札者

続いて、メンバーの私物が出品されるチャリティーオークションのセッションが始まった。オークションの収益は全額が被災者のために寄付される。今回のイベントには、タタ(チームKIII)、センディとシンディ・グラ(いずれもチームJ)の3人が参加した。タタはピンクのジャケット、センディは自身が持つ唯一の腕時計、そしてシンディは初めてメイクをした時の写真を出品していた。

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募金を呼びかけるシンディ・グラ

このチャリティーオークションは寄付を行なうファンたちで大きな盛り上がりを見せた。出品されたメンバー私物3点は825万万ルピア(約8万25百円)で落札された。オークションの他に、855万ルピアに達したチケット売り上げも全額が被災地の復興のために寄付される。また、メンバーたちが呼びかけた募金箱には500万2500ルピア(約5万円)が寄せられた。今回のイベント全体では2180万2500ルピア(約21万8千円)の寄付が集まった。

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イベントはメンバーたちが「Heavy Rotation」「ポニーテールとシュシュ」「君のことが好きだから」を披露した後で、ハイタッチをもって終了した。その他に、JKT48は「掌が語ること」のインドネシア語バージョンも歌っている。この曲は2011年に起きた日本の大震災からの復興を支援するためにAKB48が歌ったものだ。JKT48メンバーが歌う歌詞には、震災からの復興に向けてお互いに助け合っていこうというメッセージが込められていた。

2013年7月30日「LangitBerita」

【管理人コメント】
JKT48は今年3月11日にも東日本大震災復興チャリティー公演を行なっています。日本ではほとんど報道されなかったようですが、震災から2年が過ぎた今も日本の事を気にかけてくれるメンバーや現地ファンには本当に感謝したいと思います。詳細は【関連記事】をご覧ください。

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