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今回翻訳した記事の筆者とレイノ・バラック氏(右) 

レイノ・R・バラック:ある青年の外交的成功

アリア・ウィチャックサナ(ARIA WICAKSANA)

今年、インドネシアと日本は国交樹立から55周年を迎えた。私たちは様々な形態の協力を目にし感じることができるが、そのうちのひとつはもちろん幹線道路における渋滞解消へ向けた協力だ。

とはいえ、日本は私たちの兄弟だ。軍隊における規律訓練の実施、様々な雇用の場の紹介、独立準備調査会を結成など、日本はインドネシア共和国の独立準備に関して重要な役割を担ってきた。今日でもこれとほぼ同様の状況で、インドネシアと日本の協力には数多くの形態があり、本来であれば私たちはそこから学び、次世代のインドネシアのために役立てなくてはならない。はるか先の将来を見据えた若い世代の出現はこの国が良い方向へ進むための礎となるだろう。そのうちのひとりがインドネシア初の特撮シリーズ「ビマ・サトリア・ガルーダ」の生みの親である、レイノ・R・バラックだ。
もし仮に日本の血筋をひく家系に生まれなかったとすれば、まだ30歳にも満たないレイノ・ラマプトゥラ・バラックが現在ほどの成功を収めることはなかっただろう。日本の文化や考え方に対する深い理解が、彼をグローバル・メディアコム社ビジネス開発シニア・バイス・プレジデント(※)というMNCグループ(※※)内での重要な地位に導いた。

※原文は「Senior Vice President Business Development Global Mediacom」
※※MNCグループはインドネシア最大手のメディアコングロマリット。楽天とも提携している。(2012年2月14日付『日経エンタテインメント』


アニメと特撮から学ぶ

レイノは幼少期をアニメや特撮など、日本のスーパーヒーローとともに過ごした。1984年6月21日生まれのレイノは自身の日本語能力もあり、キカイダー、イナズマン、仮面ライダー、サイボーグ009、ギャバン、ウルトラマンなどの特撮シリーズを理解するにあたって支障はなかった。彼の記憶では、それらすべての特撮シリーズに絶対に諦めないという気持ち、助け合いの心、規律正しさ、自己犠牲の精神、正義感の強さといった非常に素晴らしい道徳的教訓が描かれていた。

グローバル・メディア社プレジデント・コミッショナー(※)のロサナ・バラックを父に持つレイノは幼少期をジャカルタで過ごし、アル・アズハール・プサットの学校へ通っていたこともある。フランス・パリのアメリカン大学で国際金融と国際経済を専攻し卒業。2007年からは現在も祖父母が暮らす東京のメリル・リンチにエクイティ・オフィサー(equity officer)として勤務した。

※原文は「Presiden Komisaris」(President Commissioner)。

2008年11月、レイノはグローバル・メディアコム社にビジネス開発およびコーポレート・ファイナンスマネージャーとして入社する。以前はビマンタラ・チトラという社名であったグローバル・メディアコム社は、「RCTI」「Koran Sindo」「Okezone.com」「Indovision」などのメディア企業や通信事業を傘下に収めるMNCグループ所有の投資会社だ。自らの本業ではないものの、彼は入社以来、次の世代がより良いもになるよう、教育的な子供番組をインドネシアで放送する重要性を常に訴えてきた。もちろん彼はメディアビジネスというものは利益を最優先し、教育的内容が色濃い番組を販売することは難しいという事もよく理解していた。彼が過去に提供してきたアニメ番組はいずれも長期放送とはならなかった。


マインドセットを変えるための努力

MNCタワー28階のオフィスでレイノに会うと、彼はこう語った。「現状に目を向けてみると、非効率な職場も多く, 仕事をする訳でもなくただ単に給料をもらっているだけという者もたくさんいます。これは彼らのものの考え方(マインドセット)がすでに誤った方向にあるからです。彼らはやる気、創造性、夢や希望といったものをすでに持ち合わせてはいません。今の世代を変えることはもはや不可能です。大人になった彼らの考え方はすでに固まってしまっています。しかし、子供は違います。教育的な内容の娯楽を与えることで、いつの日かきっと変わることができるはずだという希望を私は持っています」

日本ではアニメと特撮は単なる娯楽ではない。多くの大企業が関わり、巨額の利益をあげる巨大な産業となっている。現在の特撮シリーズは最先端の特殊効果が用いられている。作中に登場する乗り物も日本の自動車産業による最新車種であり、同時に世界最大の玩具メーカーの最新技術を用いたヒーローたちの玩具や関連商品も販売されている。

「現在日本で放映中の仮面ライダーウィザードにはパワーの源となる数多くの指輪が登場します。その数はおよそ140種類です。この指輪の玩具はランプが光り、値段はひとつで5万ルピア。現在までに数千億ルピアの売り上げを記録しています(※)。これは小さな玩具の売り上げだけで、はるかに高い価格で販売されているロボットや武器などのアクセサリーは含まれていません。これで確信を持った私はインドネシアのマネジメント会社に出向き、話し合いの結果、最終的に彼らも受け入れてくれました。私はライセンスビジネスを彼らに紹介したのです。高値での販売が可能な知的財産権を確保したシリーズを制作することになりました」

※2012年9月1日から2013年6月9日時点で、「仮面ライダーウィザード」関連商品「ウィザードリング」の累計出荷数は2800万個を突破。ひとつあたりの価格を400円と換算すると、売り上げ規模は112億円に達している(バンダイ発表による)。


インドネシア初の特撮シリーズの成功

レイノは自らの理想を求めると同時に、インドネシアにこれまで存在しなかったビジネスモデルを実現するため再び日本へと戻った。彼が目をつけたのは、これまで75年(※)にわたって仮面ライダーブラックなどの特撮シリーズやアニメーション制作を行なってきた石森プロだった。質の高いスーパーヒーローシリーズを制作するために、レイノはその分野の専門家に協力を求めた。興味深いことに、レイノは彼らの協力を得るにあたって困難に出会うことはなかった。「パートナーシップビジネスを提案する際に最も難しいのがお互いに理解しあうことです。私は幼少の頃から彼らが制作した全ての作品を見ていたので、彼らが作品に込めた道徳的なメッセージについて語ることができました。彼らは本当に驚いていました。最終的に彼らの協力を得ることができたのです」とレイノは語った。しかし、映画「ザ・レイド」で監督を務めたギャレス・エヴァンスの義弟であるレイノは「ビマ」シリーズの制作を完全に日本に任せた訳ではなかった。「私たちも学んでいかなければならないからです。もしこの機会に学ばなければ、一体いつ自分たちの手で作品を生み出せるというのでしょうか?」と「ビマ」シリーズはインドネシアの作品であるという点を強調しながらレイノは言った。

※ウィキペディア「石ノ森章太郎」の項目によると、石ノ森章太郎プロの設立は1968年。1998年年に亡くなった石ノ森章太郎は今年で生誕75周年を迎えている。参考:「石ノ森章太郎生誕75周年」(石森プロ公式ホームページ

レイノはその後、日本に拠点を置く世界的玩具メーカー「バンダイナムコホールディングス」のもとに出向いた。すでに石森プロの協力は取り付けていたものの、この2013年にすでに53兆ルピアの売り上げを記録している企業からの同意を得るのは容易な事ではなかった。理由はシンプルだ。彼らは信用していなかったのだ。「インドネシアのライセンスビジネスの市場規模はまだ非常に-非常に小さく、あまりにも小さいため、実際にその数字を見れば、私自身が笑ってしまう程です。彼らの売り上げの1%にも満たないため、私はその点については話しませんでした」。しかし、バンダイはインドネシアにおいて十分に成功している企業だと言える。パワー・レンジャーやベン10などの少年向け玩具が大ヒットしており、そうした点が今回のレイノの計画を後押しした。レイノはまたこう付け加えた。「日本の企業の大半が不安を抱いています。実際には(外国企業と協力)したいのですが、その方法が分からないために最終的には話が流れてしまうのです。その結果、日本にはそうしたビジネスの利益を橋渡しする数多くのコンサルタント会社が存在しています」

2011年に合意を済ませると, レイノはインドネシア初のスーパーヒーローのために詳細なリサーチを開始した。「ビマ(Bima)」という名前を選んだのは、その名前が覚えやすく、どの国であっても「ビマ」と呼ばれるからだ。シンプルな名前だが、もし仮にそれを複雑なものにすれば、マーケティングのコストもさらに上昇するだろう。レイノもこの「ビマ」がインドの叙事詩「マハーバラタ」に出てくる5人兄弟「パーンダヴァ」の「ビーマ」を連想させたとしても問題はないと考えている。「今の若者は『パーンダヴァ』の5人兄弟のことを知っているのでしょうか。私は彼らが自分の手で『パーンダヴァ』の『ビーマ』について調べてくれるよう願っています。ビマという名前で特許をとることはできません。ひとつの名前というものはすべての人間のものだからです。その名前を使ったからといって訴えられることはありません。私たちのブランドは『ビマ・サトリア・ガルーダ(Bima Satria Garuda)』であり、この名前で特許をとっています」とレイノは語った。

2013年6月30日の初回放送以来、ひとつのテレビシリーズとしては非常に巨額の費用がかかったものの、「ビマ」シリーズは現在、すでにその費用を回収できている。「ひとつのエピソードの予算で、安価な映画が製作できます。当初は正直なところ、私も不安でした。マネージメントにも賛成する者はおらず、そんなことは不可能だといわれていたからです。しかし、ありがたいことに、視聴率とその売り上げは上々です。午前中の朝の放送ではありますが、広告は夜間のプライムタイムと同様の価格で設定することができていますし、それにはインドネシアテレビ業界の記録も含まれています。成功のカギはテレビ広告ではなく、ライセンスビジネスに目を向けたことにあります」。少し宣伝させてもらえるならとレイノは付け加える。「もし私が製品メーカーの人間であれば、インドネシアで初めての知的財産権である、『ビマ』を取り上げることでしょう」。スズキは現在、「ビマ」シリーズ出演者たちを広告に起用したバイク「サトリアFU105」をインドネシア市場に投入している。将来的には、数多くの食品、衣類、サンダル、ノートなどブランドに用いられることが予想され、それに伴って「ビマ・サトリア・ガルーダ」シリーズも発展していくだろう。

ターゲットは世界
 
現在のところ、「ビマ」シリーズの玩具売り上げに関する報告は公開されていないが、レイノがその一端を明かしたところによると、売り上げは非常に好調だという。「バンダイはビマのために新たな玩具の生産ラインを作る予定です。そして、彼らはまた、ビマが日本を含めた海外での放映にも非常に協力的です。もちろんこれは当初から私が計画していたことでもあります」と”ガールバンド”JKT48の生みの親であるレイノは世界の60億人をターゲットにライセンスビジネスを展開していこうとしている。

(電通がAKB48の姉妹グループのオファーを海外数カ国に提示した際、真っ先に手を挙げたのがレイノだった。レイノ自身はまだ直接はAKB48のパフォーマンスを見たことはなかったが、その将来性をすでに感じ取っていたのだ)

2012年2月14日付『日経エンタテインメント!』によると、「秋葉原でAKB48の劇場公演を見て、インドネシアでの新しいビジネスの可能性を感じた」とレイノ氏は語っている。

「もし自分のブランドを持つことができれば、その寿命は長く、数十年にわたることも可能です」とレイノは、1971年から制作され、関連商品が現在でもヒットしている仮面ライダーシリーズを例に挙げた。彼の「ビマ」シリーズも同様に、すでに長期的な計画が出来上がっている。「番組を通じて道徳的な価値観を伝えていくのは1年といったスパンでは不十分です。私たちはさらに強力なビジネスモデルの協力を求めていきます」とレイノは語った。

「ビマ」シリーズは非常に巨大なビジネスポテンシャルを秘めているが、彼は当初の理想を忘れたことはない。彼はこの作品がインドネシアの人々の進歩に貢献できることを願っている。「私の父は『人(ヒト)』という日本語を常に思い出させてくれます。人という漢字はお互いに支えあい、決して一人では立つことはできないものとして描かれています。だからこそ、他人のために役立つ人間になりなさい、という事です。もしこの世界が利益だけを求めるものであったとしたら、おそらく中には下心を持ってお金を使う者もいるでしょうが、来世には一体どうなるのでしょうか。少なくとも、私は(父の教えの通り)貢献してきたと思っています」とレイノは締めくくった。

2013年9月27日「Kompasiana」

日本語で特撮を語るレイノ氏(4:34~)

【管理人コメント】
今回の記事は筆者のアリア・ウィチャックサナが自身のフェイスブックページに投稿したものです。翻訳のテキストには、筆者本人が「Kompasiana」という記事投稿サイトに投稿した加筆修正版を用いました。記事の内容については、レイノ氏自身が記事に対する感謝のツイートを行なっていることから十分に信用できるものであると考えられます。


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