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インドネシアのユドヨノ大統領が3月14日付けで中国・華人呼称「チナ」の変更に関する大統領決定に署名。この決定に関する現地報道をまとめました。大統領決定の詳細については、以下の【関連記事】を参照して下さい。

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人種差別とリージョナル・エスニシティ
Rene L Pattiradjawane

国家元首が自民族の歴史を否定し、国内外の問題を考慮することなく決定を下したとすれば、一体何が起こるのだろうか。その結果が3月14日にスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領が署名した、チナ問題に関する1967年6月28日付アンペラ内閣幹部会文書 【訳注1】 の撤回を定めた2014年大統領決定第12号である。

【訳注1】:原文は「Surat Edaran Presidium Kabinet Ampera tentang Masalah Cina Nomor SE-06/Pred.Ka/6/1967 tanggal 28 Juni 1967」

私たちは実際のところ複合的なインドネシア社会におけるエスニシティという用語の問題をそれほど気にかけておらず、同胞である華人たちが1945年憲法と我が国の建国理念に合わせた義務と権利を得られるよう支援している。今回の2014年大統領決定第14号に反映されなかった2つの判断がある。

まず第1に、1967年のチナ問題に関するアンペラ内閣文書は、国家情報調整庁(BKMC)のチナ問題調整庁(BAKIN)が1980年にまとめた『Pedoman Penyelesaian Masalah Cina di Indonesia (インドネシアにおけるチナ問題の解決指針)』第2集に記された通り、明らかに「心理政治」的な問題に向けられている。2014年大統領決定第12号は「中国(China)」との二国間関係を考慮し、「Negara Republik Rakyat Tiongkok」という呼称に戻す必要があるとしている。

RRC(Republik Rakyat Cina、中華人民共和国)の呼称変更は差別問題と並行した判断の一部であり、内閣官房長官覚書(Nota Sekretariat Kabinet)よりも大統領決定の作成がより重要とされる。留意するべきは、1967年文書は当時のインドネシア国軍准将スダルモノが率いたアンペラ内閣幹部会事務局によって作成、調印されたものであるという点だ。

第2に、1967年アンペラ内閣文書の心理政治的ニュアンスを消し去ることはスハルト政権が行った全政策を背景とする歴史的事件をなきものとすることと何ら変わりがない。その中には、同胞である華人を含めた負の烙印を押された犠牲者たちに子孫に至るまで広く深い苦しみをもたらした9月30日事件の問題も含まれている。

理解するべきは、スハルト政権への政治的変化という文脈における「チナ」という言葉の使用は、国内動乱に直面したアンペラ内閣にインドネシア陸軍という立場から寄与した第2回インドネシア国軍セミナーの成果であるという点だ。これは当時のアジア諸国も同様の措置をとったRRCとの外交関係凍結を含めた共産主義とのイデオロギー対立が理由となっている。

懸念されるのは、今回の2014年大統領決定第12号が地域的かつ多元的なインドネシアの戦略的利益を阻害する複数の要因を後押しすることだ。第1に、「チャイナ(China)」という言葉の使用はRRCの求めに応じて選択したものであり、1990年の国交正常化におけるインドネシアの友好的な決意のあらわれとして受け入れられていた。第2に、ティオンコックとティオンホアの使用はインドネシアと中国の2国間関係と比べるとより国内的な性質を有している。なぜなら、この2つの言葉はインドネシアにおける多様なエスニシティの複合的なリンガ・フランカとして用いられてきた華人エスニシティ(福建人)方言のひとつであるからだ。

訳注:「ティオンホア(Tionghoa)」は福建語の「中華」の原文読み。「ティオンコック(Tiongkok)」は中国国家を意味する福建語の「中国」の原文読み。

第3に、より民主的かつティオンコックとティオンホアという発音を用いる福建人が多数を占める台湾との交流において「ひとつの中国」政策の変更という外交的帰結が生じることになる。2014年大統領決定第12号はリージョナルな人種・エスニシティ差別を生じさせ、この地域におけるインドネシアの経済・貿易交流に影響を及ぼすのではないだろうか。

2014年3月26日付『コンパス』紙(ソース


チナとティオンホアのジレンマ
2014年3月24日月曜日19時22分(WIB)

REPUBLIKA.CO.ID、ジャカルタ-スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は2014年大統領決定第12号において、チナ(Cina)からティオンホア(Tionghoa)への用語の変更を表明した。「チナ(Tjina)」もしくは一般的には「チナ(Cina)」と呼ばれる用語がインドネシアの華人系住民の社会関係において心理社会的差別を生じさせたとされたためだ。

残念ながら、この1967年6月28日付アンペラ内閣幹部会文書の変更を定めた大統領決定は現状にそぐわないと判断された。

この意見はレミ・シラド(Remy Sylado)の名で知られる文学者および作家のヤピ・パンダ・アブディエル・タンボヤン(Yapi Panda Abdiel Tamboyang)が述べたものだ。レミは、今回の変更に関する大統領決定を知って驚いたと話す。

「もういいでしょう、チナですよ。なぜわざわざいじらなきゃいけないんですか」とレミは3月24日月曜日、「Republika」の取材に答えた。この「チナ」という用語は「ティオンホア」に比べ、より政治的であるとレミは続けた。

この「チナ」は昔からすでにインドネシア語となっていたとレミは説明する。現在はすでにインドネシア語大辞典に収録されているが、この言葉は様々な場所やその他の物に数多く用いられてきた。例えば、パサール・チナ、カンポン・チナ、ポンドック・チナなどだ。

「チナ」を「ティオンホア」に変更する場合、それらの発音もパサール・ティオンホア、カンポン・ティオンホア、ポンドック・ティオンホアに変わることになる。「プチナン(Pecinaan)という呼称もプティオンホアアン(Petionghoaan)となることでしょう」とレミは話す。

インドネシアが独立した年にマカッサルで生まれたレミは今回のスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領による大統領決定にひっかかるものがあるという。「これはひょっとすると排他系な華人コミュニストと関係があるのではないでしょうか」とレミは話した。この予想の背景には、特定の華人グループが昔から「チナ」という用語をティオンホアに変更したがっていたという経緯がある。

いずれにしても、今回の大統領決定の意図はさておき、チナという言葉はティオンホアと比べてより相応しく、その地位も高いとレミは説く。レミはスー・ホック・ギー(Soe Hok Gie)の実兄アリフ・ブディマン(Arif Budiman、スー・ホック・ジン Soe Hok Djin)の言葉を借り、アリフは他人にティオンホアよりもチナと呼ばれることをより好んだとした。

レミの目にはチナという言葉は「チャンティック(cantik、美しい)」という意味があると映る。マレーシアには「チナに裁縫を教えてはならない(Jangan mengajari Cina menjahit)」ということわざがあり、これは頭のいい人にものを教えてはならないという意味を持っている。つまり、マレーシアでさえ中国人もしくは華人は優れた能力を持っていると認めている事を意味している。そして、このことわざはすでに長きにわたって存在している。これはチナという言葉はティオンホアよりもより肯定的なニュアンスを持つことを意味している。

ティオンホアという言葉はその意味において排他主義的な性質を持つとレミは説明する。ティオンホアは広く用いられているとは言えず、結果として、特定のグループに対してのみ効果が生じることになる。ティオンホアという言葉も元をたどれば、(現在はインドネシア教会となった)カルヴァン派キリスト教徒から伝わったものだ。1965年を通じて、ティオンホアという言葉は「Republik Rakyat Tiongkok(RTT:中華人民共和国)」を支援するコミュニストの存在に関連したものだった。

したがって、ティオンホアという言葉が用いられた場合、インドネシアの全華人ではなく、単に特定の集団を特別扱いすることを意味している。

2014年3月24日「Republika」


イェニー・ワヒド、チナの変更で差別は消えず
2014年3月31日月曜日6時9分(WIB)

TEMPO.CO、ジャカルタ-チナという用語のティオンホアとティオンコックへの変更に関する大統領決定に複数の層からコメントがなされている。しかし、故グス・ドゥルの長女イェニー・ワヒドによれば、差別の解消は言葉の変更だけでは不十分であるという。

「仮にその目的が差別の解消であった場合、用語の変更では不十分です」とイェニーは2014年3月30日、取材に答えた。

イェニーにとって、国民のメンタリティーを変えることが差別を解消する上で最も重要であるという。メンタリティーの意味するところは、国民間での違いを理由にお互いに壁を作らないようにするということだ。

個人に対するティオンホア、中国に対するティオンコックというチナという言葉の変更は2014年大統領決定第12号によって定められた。この大統領決定によって、1967年6月28日付アンペラ内閣幹部会文書は撤回された。

今回の大統領決定に関して、複数の識者からコメントがなされている。「今回の決定は歴史的にみて正しいものです。これによってスハルト政権時の差別の烙印が消しされられることでしょう」とインドネシア科学研究院(LIPI)の歴史専門家アスフィ・ワルマン・アダムは話している。

これとは異なり、文学者のレミ・シラドは今回の用語の変更は差別の解消につながらないとの意見を持つ。「より相応しい承認を与えたければ、華人に3語から成る彼らの本名を使わせればいい」とレミは2014年3月29日土曜日、サレンバで取材に答えた。

その他に、チナからティオンホアに変更しても別の問題が生じるという。「ポンドック・チナ(Pondok Cina)、ビダラ・チナ(Bidara Cina)、プチナアン(Pecinaan)の今後はどうなるのですか。プティオンホアアン(Petionghoaan)に変えなければいけないのでしょうか」とレミは話した。

これらの賛成と反対の意見に、イェニーは中立の立場をとる。「私は今回の変更に関しては中立でいます」とイェニーは話すが、一部の人間がチナという言葉が悪口のようなものであるという印象を抱いているため、それが肯定的な目的のためであることは理解しているという。「例えば、『Cina lu(訳注:インドネシア語に性差はないが、あえて訳せば"チナ野郎"的な意味)』と言った場合、チナという言葉は誹謗中傷として用いられています」とイェニーは語った。

2014年3月31日「Tempo.co」

【管理人コメント】
現地報道紹介はとりあえずここまでにして、次回は今回の件に関するインドネシアのネット掲示板の反応を紹介する予定です。

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