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インドネシアの高校3年生用歴史教科書「日本の成功と世界の政治経済秩序に与えた影響」の翻訳です。出典はDrs. I Wayan Badrika, M.Si, Sejarah Nasional Indonesia dan Umum SMA Jilid 3 untuk Kelas XII, Penerbit Erlangga, 2005, pp.245-251です。

第9章 世界の新たな秩序と価値観および冷戦の終結

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冷戦は世界の秩序と価値観において様々なダイナミクスを生み出した。世界の政治経済秩序に影響を与えた日本の成功、東西関係から南北関係に至る国際関係の変化、リージョナルおよびグローバルでの密接な結びつき、東ヨーロッパにおける変化、そして冷戦の終結を、この章では取り上げる。

A.日本の成功と世界の政治経済秩序に与えた影響

【1.太平洋戦争終結後の日本の現状】


1945年8月15日、日本軍は連合国に無条件降伏した。日本の連合国に対する降伏によって、1941年から1945年にかけて激化した太平洋戦争は終結した。

太平洋戦争終結後、日本の領土は主要4島、すなわち本州、四国、九州、北海道のみから成り立っていた。クリル(訳注:千島列島)およびサハリン(訳注:樺太)諸島はソビエト連邦に割譲された。一方で、マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島は国連の信託統治領として日本からアメリカへ正式に引き渡された。実際にはそれら諸島は第1次世界大戦後に委任統治領として国際連盟から日本へ与えられていた。琉球諸島と小笠原諸島も第2次世界大戦後にアメリカの占領下におかれた。

1945年9月2日、日本による降伏文書の調印を経て、アメリカ軍はすぐさま日本を占領するために上陸した。連合軍最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers, SCAP)には、アメリカのダグラス・マッカーサーが選ばれた。アメリカ軍による日本占領の目的は以下のとおり。

a. 動員解除、武装解除、日本の非軍事化の実施
b. 民主化の推進
c. 日本の経済的基盤および軍隊の解体

第2次世界大戦敗北後、日本では占領政策責任者らの助言をもとに新憲法草案が直ちに起草され、1947年5月3日から施行された。この新憲法では、天皇と国会の地位に関して最も大きな変化が見られた。天皇は日本国及び日本国民統合の象徴となり、国政に関する権能を有さない。国会は、国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関とされた。日本国首相は国会議員のうちから国会で指名される。

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日本の降伏。1945年9月2日、ダグラス・マッカーサー元帥は東京湾上の米艦ミズーリにおいて、日本の降伏を受け入れた。

アメリカ軍による占領は第2次世界大戦後の日本に非常に大きな影響を与えた。日本は苦難を経験した。経済状況は次第に悪化し、インフレーションの進行が経済の低迷に拍車をかけた。日本における連合国の責務は1947年半ばには大部分がすでに決定され、数年の日本占領の後に終了しなければならなかった。結果として1951年9月8日にサンフランシスコで日本との講和会議が開催された。ソビエト連邦は講和会議には出席したが、講和条約には調印しなかった。

講和条約調印と同時に、日米間で安全保障条約が締結された。この条約によって、アメリカには日本で軍事基地を設置する権利が与えられた他、日本の防衛も同国の義務となった。講和条約には、日本の戦時賠償の支払い及び、軍隊保有の禁止が明記された。しかし、この軍隊保有に関する条件が最終的にアメリカによって緩和された結果、日本の軍隊はおよそ30万人の人員を保有している。この軍隊は近代的な兵器を備えた陸、海、空軍から成り立っている。


【2.日本の経済的成功】

太平洋戦争もしくは大東亜戦争の敗北から2年で、日本はアメリカの援助を受け、次第に成長の兆しを見せ始めた。1950年には、食料品、繊維製品、生活必需品などの数多くの製品の生産に成功した。こうした小規模な製品から、やがてはトランジスターラジオ、テレビ、カメラなどの贅沢な製品へと生産力を高めていった。

日本は最も資源に乏しい国である。現代産業の需要を満たすため、石油、鉄、アルミ、その他の鉄鋼資源などの原料は大半は輸入に頼らなければならなかった。現在は必要とされる原料が世界市場でより容易に調達できるため、日本はさらに広範囲からの輸入を行なっている。また、今日では素材産業に活動をシフトしている。とはいえ、当時の日本では鉄鋼産業で急速な発展がみられた。製鉄産業は最大の外貨獲得産業となり、その後は繊維産業が続いた。加えて、造船業も急速に発展した。その他に外貨獲得に貢献した産業として、自動車産業、化学・医療薬品、テレビ・ラジオなどがある。

1955年以降、過去に失われた栄光を再び取り戻そうとする日本人の熱意がいかに大きなものであったかがはっきりと見て取れる。日本経済はさらに発展し上向いていった。アジアで最も進んだ国として数えられると同時に、世界第2位の産業国家となった。日本はイギリス、ドイツ、アメリカなど過去数十年、そればかりか数百年にわたって発展してきた先進諸国と肩を並べることに成功した。

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日本の発展。日本経済の復興は決してあきらめない国民性と切り離すことはできない。第2次世界大戦の荒廃を経て、日本はその後、発展した国として立ち上がった。写真は世界で最も忙しい街、東京の光景。

日本の現在に至るまでの政治動向のひとつとして、発展途上国の経済成長促進を目的とした経済協力構想が挙げられる。これは例えば、日本の発展途上諸国に対する経済支援額が証明している。1964年から1969年にかけて、日本の経済支援総額は3億6千万ドル(1964年)から11億ドル(1969年)に上昇した。最大の支援は東南アジア諸国に対して行われた。インドネシアも1966年から支援を受けており、その額は年々上昇している。1967年にインドネシアが受けた援助は6千万ドルであったが、1968年には1億1千万ドル、1969年には1億2千万ドルに上昇した。他の債権諸国と比較すると、日本の借款は金利が0.5パーセント高い3.5パーセントであった。

日本のアジア諸国への経済協力は債務国側に常に歓迎されていた訳ではない。加えて、不信や誤解も絶えず生じていた。この点に関しては複数の要因があり、インドネシアを含むいくつかの国では依然として相反する反応が見られる。開発を促進する上で経済援助は不可欠なものであると認識する一方で、その援助が「ひも付き」となることを懸念しているためだ。しかし、現在では、それらの誤解や誤った評価を取り除こうとする日本側の取り組みがすでに行われている。

第2次世界大戦終了後、日本もまた非常に危機的な人口問題に直面した。1947年にはおよそ7千8百万人であった日本の人口はその後 次第に増加し、1億人を超えるまでに至った。この人口の爆発的増加に対処するため、日本政府は1948年に経済及び健康上の理由から特定の状況下における人工妊娠中絶の許可に関する法律を制定した。日本の人口は増加の一途をたどっていたが、出生率は下がり続けていた。例えば、人口1千人あたりの出生率は1947年の34パーセントから、1957年には17パーセントになった。日本はこれら全ての問題を進んだ教育水準、国民の高い規律意識、および国民向けに備えられた十分な厚生施設によって克服することに成功した。

日本経済もさらなる発展を見せた。ASEAN諸国との関係もさらに緊密さが増した。日本のアジア諸国からの原材料の輸入総額は1980年に3千7百万ドルに達し、日本の全輸入量の4分の1を占めた。一方で同年の日本からアジア諸国への輸出は3千6百万ドルを記録し、輸出総額の37,7パーセントを占めた。

1980年、日本の対ASEAN投資は70億ドルに達した。この日本による投資の増加は欧米諸国のビジネス界を脅かした。欧米諸国が過去数百年にわたって保持してきたテクノロジーおよび経済分野での優越が自らの手を離れていくと見られたためだ。加えて、石油危機の発生は世界に衝撃をもたらしたが、日本経済を揺るがすことはなかった。

外交関係において、日本は1970年代にソ連や中国との関係を持つようになった。他方で、アメリカはアジアにおける共産勢力拡大の防波堤として一貫して日本に信頼を置いていた。


【3.グローバル経済の先駆者としての日本】

グローバル経済における日本の先駆性は市場の国際化を通じて示された。これは日本が第2次世界大戦の敗北後にとった類稀なる戦略である。日本が適用した市場経済システムは実のところ過去に世界で用いられた軍備拡張システムよりも効果的なものだった。軍拡システムはある国が他国の経済を支配し実権を握る手段として位置づけられ、支配された国からの物質的および経済的利益獲得を目的とする取り組みとみなされている。

日本は第2次世界大戦時、軍備拡張を実現させるため、東アジア地域諸国を占領することで大東亜共栄圏の建設を目指した。しかし、計画は頓挫し、日本は連合国軍に制圧された。敗戦後、日本の軍隊保有が認められなかった。結果として日本は市場の国際化を進めることで、新たな戦略を策定せざるを得なかった。すなわち、様々な日本製品によって、全世界の市場を掌握しようとしたのである。日本製品は独占を必要とはせず、ある国の市場で優位なシェアを築けば、すでに成功したものとみなされた。日本はまた資源に乏しいため、未加工ラタンや丸太の輸出を禁止したインドネシアのように、原材料販売システムを操作することはできなかった。このため市場の国際化を完全なものとするためにも一層の努力を積み重ねる必要があった。こうした取り組みが功を奏し、世界市場の掌握によって得た日本の影響力と利益は、1945年以前の大東亜共栄圏初期の計画で占領した地域における影響力や規模、および同地域から得た利益を越えた。

現在の経済的支配を通じた日本の繁栄は大東亜共栄圏の規模を越え、おそらく世界の半数の地域に達している。日本の経済的利益、誇り、国民の福祉は従来の植民地システムで獲得され得るものを越えていた。こうした現実が世界各国の指導者たちを目覚めさせ、当初は軍事力、政治力、そしてイデオロギーによって他の地域を掌握しようと野心を抱いていた指導者たちが競うように世界経済の掌握を目指すようになった。

こうした状況によって、国が発展を望むのであれば、軍事力や政治力ではなく市場経済力を持つことで、市場の国際化において十分な活躍が果たせるとの認識が生じた。市場経済での影響力を高めるために、日本は単に大量の自国製品を輸出しただけではなく、同時に輸出国の国力増強にも取り組んだ。日本は輸出国を生産過程に関わるように申し出ることで、発展の遅れた国々を援助した。これはそれらの発展途上諸国が日本製品を購入できるようにするという意図があった。各種事業分野における国家間の結びつきや経済協力が緊密化することで、グローバル経済と呼ばれるものが現れた。

しかし、実際にはグローバル経済だけではなく、共通の幸福や繁栄を望むのであれば、世界は共同でマネージメントされるべきとの意識が同時に現れた。国民の幸福や繁栄は他の国々が貧困、飢餓、低い教育水準、環境破壊、抑圧、不公平から抜け出し、発展していくことで、さらに大きなものとなっていくだろう。

グローバル経済システム、そしてグローバルなマネジメントシステムの発展に伴い、諜報活動、軍拡競争、武器輸出などに血道を上げる政治家や軍関係者は気が付くべきだろう。軍事力の増強は世界情勢を危機に至らしめると同時に、無用な行為かつ浪費である。戦闘機、軍艦、戦車、人工衛星、ミサイルなどの数多くの兵器は人類を互いに滅ぼすためのみに用いられる。

開発には巨額の費用がかかる。グローバル経済では、多国籍の経営者間の協力および国家間の資本流通や協力の発展が必要とされる。例えば、アメリカは1987年に中国に対して、408の事業で総額30億4千万ドルもしくは5兆6千億ルピアの投資を行なった。このため仮に中国との戦争を行なう場合、同国でのアメリカの経済的利益を念頭にアメリカ人は考え込む事だろう。また、それ以外にも、経済、文化、社会、教育、観光分野での国家間の協力も必要とされている。したがって、日本による市場の国際化の経験は新たに平和な世界を構築するための土台としてのモデルとなり得るのである。

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日本製品。日本は自国製品の国際化に成功した。世界のほぼ全ての地域で、私たちは日本製品を見ることができる。写真はあるショッピングモールの日本製品。


【4.日本経済が世界の政治経済秩序に与えた影響】

今日の日本は世界的に見ても非常に強い経済力を持つ先進国であり、これはアジア地域や世界を問わず、他の国々にとって十分に大きな意味を持つ。日本は支援を必要とする国に対して常に援助の手を差し伸べてきた。

日本による第三世界諸国への援助は、援助を受けた国々が自国で経済開発を進めていくことを目的としている。日本はそれらの国々に対して経済的な利益を持つ。日本政府からの援助を受けた国々が自国民の生活水準の向上に成功した場合、日本はそれらの地域を自国産業製品の市場とすることができる。また、産業需要を満たすために素材原料も獲得できる。

日本経済の発展は世界各国の政治経済秩序に対して大きな意味を持つ。政治面において、日本は世界各国と外交関係を結んだが、それは経済的要因の影響もあった。日本は自国製品の市場を求めていた。逆に、世界各国も政治的には日本と外交関係を結んだが、それは同時に当該諸国の経済的要因、すなわち自国経済を発展させるための借款を目的としていた。それらの国は結果として、直接的にも間接的にも、日本製品を自国に供給するために門戸を開くことになった。日本の経済成長は明らかに世界の政治経済秩序に多大なる影響を与えた。

【学習の確認】
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1.第2次世界大戦によって壊滅状態となった日本は、どのようにして世界経済の主役となったのか?
2.世界経済の掌握を可能とした日本の戦略とは何か?
3.インドネシアは自国経済を発展させるために日本のスタイルを模倣することは可能か?説明しなさい。


※以下、第9章の「B.」「C.」「D.」節は割愛。


【章末の学習】(日本に関する問題のみ抜粋)
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A. 最も適切な選択肢をひとつ選べ。

1.日本の連合国への無条件降伏には複数の要因が考えられるが、そのうちのひとつとは?
 a. 日本産業の中心である2都市をアメリカが爆弾を投下したため
 b. 連合国を相手にしたサンゴ海海戦で日本が敗北したため
 c. 連合国の攻撃を受け、日本のインドネシア占領地域が次第に追いつめられていたため
 d. 日本のインドネシア地域における活動が遮られたため
 e. インドネシア民族が独立を求めて立ち上がり、日本はもはや止めることができなかったため

2.以下の選択肢を確認し、以下の問いに回答せよ
 1. 動員解除
 2. 武装解除
 3. 非軍事化
 4. 天皇の救出
 5. 日本の軍事・経済の発展
アメリカの日本占領の主な目的は?
a. 1, 2, 3 / b. 1, 3, 5 / c. 2, 3, 5 / d. 3, 4, 5 / e. 2, 4, 5

3.第二次世界大戦後の日本が直面した非常に厳しい問題とは?
 a. 国内政治
 b. 国民の社会生活
 c. 連合国への敗北
 d. 人口の急激な増加
 e. 日本文化とアメリカ文化の融合

4.国の発展の条件として日本が挙げるものは?
 a. 政治力
 b. 軍事力 
 c. 経済力
 d. 文化力
 e. 国家間の協力

B. 以下の問いに簡潔かつ明瞭に回答せよ。
1.なぜ日本経済は第2次世界大戦後に急速に発展したのか?
2.なぜ日本は市場の国際化およびグローバル経済の先駆者となれたのか?
3.日本の経済成長は世界の政治経済秩序にどのような影響を与えたのか?

※今回紹介したエルランガ社の高校歴史教科書は明石書店から『世界の教科書シリーズ20 インドネシアの歴史』としてすでに日本語訳が出版されていますが、テーマを「インドネシアの歴史」に絞っているため、上記エントリーの「戦後日本の歩み」に関する記述は割愛されています。

【管理人コメント】
インドネシアの歴史教科書から日本軍政期に関する記述はこれまでに何度も紹介されてきましたが、戦後日本の歩みに関する記述に関しては情報が全くと言っていいほど出てきません。第2次世界大戦後の日本はインドネシアではどのように評価されているのか。ひとつの参考としてインドネシアの高校歴史教科書から関連する記述を紹介してみました(2005年に出版された教科書です)。

なお、日本軍政期に関するインドネシア歴史教科書の記述に関しては、例えば上記で挙げた明石書店の『世界の教科書シリーズ20 インドネシアの歴史』や下記の関連記事を参照してください。

【関連記事】
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