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本文に出てくる前田少将邸は現在、独立宣言起草博物館として一般に公開中

インドネシアのネット掲示板で「前田精少将の素顔に迫る」というスレッドを見つけたのでご紹介します。 

先日当ブログ常連のNさんからコメント欄を通じて、国際交流基金理事長の安藤裕康氏が日経新聞夕刊に寄せたコラムを教えていただきました。「残留日本兵」をテーマにしたごく短い文章ですが、冒頭の導入部分にインドネシアでの体験が記されていたので、以下に該当部分を引用してみます。

【あすへの話題】 残留日本兵 (国際交流基金理事長 安藤裕康)
日経新聞夕刊(2014年8月13日)

先日インドネシアの高校で生徒たちと懇談した。日本のことで色々質問が出たあと、「前田精(ただし)少将についてどう思うか?」と聞かれた。恥ずかしながらその人物は名前さえ知らなかった。太平洋戦争終結の翌日、インドネシア人が集まって独立宣言を起草した際、日本軍当局の意向に反してこれを支援した軍人だ、とあとで教えられた。学校の教科書にも載っていて、深く尊敬されている人物だという。それ以外の日本軍人の中にも、軍を離脱しインドネシア独立義勇軍に参加して戦った者が大勢いる。そういう人々のことは、現地はともかく、今日の日本ではほとんど知られていない。(後略)


さて、ここで注目したいのは前田精少将とは「太平洋戦争終結の翌日、インドネシア人が集まって独立宣言を起草した際、日本軍当局の意向に反してこれを支援した軍人」であり、「学校の教科書にも載っていて、深く尊敬されている人物」だという記述です。

インドネシアの高校生との懇談から得た情報とのことですが、なかなか興味深い内容であるように思います。前田少将は日本では一般にはほとんど知られていない人物ですが、インドネシアでは果たしてどのように評価されているのでしょうか。

これに関連して、インドネシアのネット掲示板で見つけた前田少将に関するスレッドをまとめてみました。これはこの記事に限った話ではありませんが、あくまでもネットの反応という点を念頭に置いて、ひとつの参考としてご一読いただければ幸いです。


前田少将の素顔に迫る

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前田精少将(1898年3月3日-1977年12月13日。享年79歳。鹿児島生まれ)は太平洋戦争時の蘭領東インドにおける日本帝国海軍高官である。前田少将はインドネシアの独立において非常に重要な役割を果たした。前田少将はイマム・ボンジョル通り1番地の自宅をインドネシア独立宣言文草稿の起草場所として貸し出した。起草のメンバーは、スカルノ、モハマッド・ハッタ、アフマッド・スバルジョ、さらにタイプライターとしてサユティ・ムリクが集まった。前田少将も彼らの安全を保証するよう備えていた。

こうした状況を踏まえれば、前田少将の存在は公的にも私的にも非常に重要なものであった。この緊縛した状況にあって、前田少将は自身の良心に従って行動した。独立は果たされるべきものであるとの信念に基づき、インドネシアの解放に向けて尽力したのである。

【関連エピソード】

明治通り1番地の 2階建て邸宅は多忙を極めていた。数十名の若者が集まり、テラスに腰かける者もいれば、庭先で腰かけながら話し合う者もいた。彼らは夜の冷たい風を気にかけることもなく、厳しい表情を見せていた。若者たちは1階で行われている指導者たちの話し合いの結果を待っていた。

これは日本ではなく、ジャカルタでの出来事だ。上記で記した明治通り1番地(現在のイマム・ボンジョル通り1番地)の邸宅とは日本海軍前田精少将のインドネシアでの将邸である。この日本軍高官の自宅で、ブン・カルノ(スカルノ)、ブン・ハッタ、および独立を求める人物たちが独立宣言文を起草していた。彼らは時間に追われているようであったが、それは独立宣言文が翌日の1945年8月17日に読みあげられる予定となっていたためだ。独立が刻一刻と近づくと、若者たちにも緊張が走った。

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8月14日午後、シャフリルはブン・カルノとハッタにある報告をした。彼らは二人は南方軍総司令官からの招待を受けて訪問したベトナムのダラットから帰国したばかりだった。シャフリルの報告とは日本の連合国への敗戦だった。この敗戦の報はインドネシアでは徹底的に隠蔽された。当時のインドネシア人民が知り得たのは、内容の大半がプロパガンダである日本発のニュースのみだった。全てのラジオが放送を止められた。外国放送を聞く者は「敵国のスパイ」と見なされ、場合によっては死刑となった。こうした危険な状況で、日本の敗戦を知ったスタン・シャフリルが率いる地下運動が起こった。

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前田精少将は日本海軍連絡事務所で敗戦の報を確認すると、それを認めた。しかし、彼は同時に、これは大本営からの正式な発表ではないと強調した。インドネシア独立準備委員会による独立宣言の承認を求めたスカルノは、翌8月15日夜10時にインドネシアの独立宣言を行なうよう求める青年たちの提案を拒否した。

ウィカナとダルウィスが率いる青年グループはその夜に独立を宣言するよう求めていた。ウィカナは気色ばんだ口調で、スカルノがその晩の独立宣言を認めなければ、その翌日には間違いなく戦闘が勃発するだろうと詰め寄った。これを聞いたスカルノは怒りをあらわにした。「君には本当に革命の準備ができているのか?もし失敗すれば、どうなる?犠牲となるのは人民ではないのか?」とスカルノはウィカナを一喝した。ウィカナはこのスカルノの言葉を受け入れることはできなかった。「人民はすでに反旗を翻す準備はできている。我ら青年グループが彼らを指揮します」とウィカナはスカルノの言葉を鋭くさえぎった。

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このウィカナの礼を失した態度はスカルノを激怒させた。スカルノは座席から立ち上がると、怒声を部屋中に響かせた。「例え首を切られようとも、今晩の独立宣言は認めない。明日もしくは明後日だ。軽い気持ちでの発言はやめてもらいたい」とスカルノはウィカナを叱り飛ばした。

このスカルノ邸宅で行われたやり取りをウィカナとダルウィスが青年グループの仲間たちに報告した。その結果、8月16日午後4時、スカルノとハッタはジャカルタ東部のレンガスデンクロックへ連れ去られた。連れ去られた2人をジャカルタに連れ戻すために、アフマッド・スバルジョが現地へ出向いた。夜11時になって、彼らはそれぞれの自宅に到着した。スカルノはその後、前田少将の自宅へと向かった。

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ハッタも同様に前田邸へ向かった。この日本海軍高官の自宅にはすでに、インドネシア独立準備調査委員会メンバーを含む、数多くの人物が集まっていた。前田少将はスカルとのハッタを西村少将に引き合わせた。これはインドネシアの独立に関する日本陸軍の態度を知らせるためのものだった。西村少将は国際的な規定に従って、日本の連合国の敗戦後、日本軍は現状を維持する義務があり、いかなる変更も認められないとの意見を持っていた。結果として、スカルノとハッタは独立宣言に際し、日本側との会合を持つ必要はないとの結論に至った。

彼らが再び前田少将邸に戻ると、時計の針は8月17日午前2時を指していた。そして、独立宣言文が起草された。草稿は、同席者が所有する青いラインが入ったノートに記された。草稿が書きあがると、スカルノは同席者らの賛同を求めた。湧きあがる歓声が賛同を示していた。宣言文草稿はその後サユティ・メリクが前田少将邸の台所近くでタイプした。この会合は午前4時に終了した。そして、午前10時、インドネシアの独立が宣言された。


インドネシア人の反応
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  • 俺も歴史の授業で少し教わった事があるよ!
     
  • このスレッドに注目が集まってほしいと思う。インドネシア人ではないにも関わらず、インドネシアの独立を支援してくれた前田少将のためにも。
     
  • インドネシア独立宣言は当時まだ西洋に植民地支配されていた海外諸国の希望となった。
     
  • 前田少将を含めて、インドネシアの独立に関わった英雄たちのことを俺たちは決して忘れてはならない。
     
  • 支配者の顔と英雄の心を持つ人物だと言えるだろう。
     
  • 前田少将自身も自らがインドネシアで有名になり、そのエピソードがインドネシアの独立を語る際に偲ばれるようになるとは夢にも思っていなかっただろうな…
     
  • 全ての日本人が残虐であった訳ではないんだな。感動した。
     
  • インドンシア独立までの過程を支えた人物だな。彼がいなければインドネシアの独立は先延ばしにされたことだろう。
     
  • 前田少将は尊敬に値する人物だ。日本人ではあるが、今の我が国の国会議員よりもインドネシアの立場に立って多くの貢献を果たしたのだから。
     
  • 彼の名前だけは聞いたことがあるぜ…
     
  • この前田少将は戦争犯罪者として裁判にかけれたことはあるのかな?情報を求む。
     
  • 前田少将というのは本当にすごいんだな。ところで、前田少将は元AKB48の前田敦子と何か関係があるの?
     
  • インドネシアの側についた日本人もいたんだな!
     
  • 全ての日本人が支配者であった訳ではない。
     
  • これはスゴイ。彼はインドネシア人でないが、我が国の独立に貢献したんだな。しかも、博物館まで作られるなんてさ。
     
  • スレの内容が物足りない。俺は前田少将に関してもっと詳細な情報があると思ってたのに。細切れの情報じゃなくて、インドネシア独立宣言に至るまでのプロセスをもっと広い範囲で捉えた視点を提供してもらいたい。
     
  • 素晴らしい情報だ。前田少将について勉強になったし、理解が深まった。ところで、彼の自宅は今はどうなってるの?オランダや日本時代の建築物を見るのはちょっと怖いんだけど。
     
  • 彼の家は今は博物館になってるよ!俺は昔行ってみたことがあるんだ。
     
  • 俺の考えでは、インドネシアの独立に貢献したのは「日本」ではなく、インドネシアにいた何名かの日本軍高官たちだ。というのも、当時の日本はすでに連合国に敗戦し、インドネシアを彼らに引き渡す約束をしていたからだ。そのため、日本軍高官たちはこの翌日にインドネシア独立宣言が行われることを知らないふりをしていた。つまり、インドネシアの独立は日本の助けによるものというのは大きな間違いであり、正確には数名の日本軍高官が自らの良心に従って援助を行なったというべきだろう。
     
  • 感動した…ありがとう、前田少将。あなたがわが民族の独立に貢献してくれたことに。
     
  • 前田少将は支配者の側からインドネシアの独立を支えてくれたんだな。
     
  • このスレの内容を知る人はあまり多くはないだろうな。スレ立てに感謝する。
     
  • 前田少将を誇りに思う。
     
  • 歴史の授業で教わった… ような気がする(笑)
     
  • このスレッドは非常に詳しい情報がある。歴史教科書だけじゃ全く持って不十分だ。
     
  • 昔から少しばかりの知識はあったけど、このスレを読んで前田少将という人物についてさらに理解が深まったよ。ありがとう!
     
  • ひとつ質問したいのは彼がインドネシアを援助した背景についてだ。例えば、ダウエス・デッケルについてはその背景についてもすでに明らかになっているが、彼の場合は日本海軍の高官だった訳だし…
     
  • インドネシア人が誇りに思う日本人だな。
     
  • 前田少将の貢献が今後1000年語り継がれることを願っている。
     
  • 前田少将の名前はインドネシアの通りの名前にも使われていたと思うんだけど、場所がどこだったか詳しい事が思い出せない。前田少将は素晴らしい人だと思うよ…
     
  • 外国人でさえインドネシアの独立を助けたというのに、今では当のインドネシア人が権力を利用してインドネシアを汚職まみれにしているなんて…
     
  • 俺は生れて初めて前田少将の写真を見たよ。もっとも良心的な日本軍人だな。
     
  • おいおい、彼の名前はインドネシアの独立を扱った歴史の本では当たり前のように記述されているよ。前田少将は本当に素晴らしい。
     
  • もちろんこのNihonjinは多大なる貢献を果たしている。Maeda-san, anata no okage de, arigatou!
     
  • 俺が前田少将について知ってるのは、昔学校の歴史の授業で教わったほんの少しの情報だけ。しかも、今から考えれば、その情報はあまりにも物足りないものだった… 実際、前田少将のことをインドネシア人だと思ってたくらいだし… ところで、俺は前田敦子の大ファンだよ!
     
  • 日本が追いつめられていたのを知っていたというのもあるだろうけど、ポイントは前田少将の良心的な行動だよね。
     
  • 前田少将の紳士っぷりが際立つね。彼は良心をもった人物だったということだろう。
     
  • 前田少将の他に、インドネシアの独立に貢献した外国人軍人はいるのだろうか?
     
  • 素晴らしいスレッドだ。学校では前田、シャフリル、そればかりかハッタでさえも、彼らがインドネシアの独立にどのような貢献をしたかを教わることがなかった。スレの内容はやや先入観が入った部分もあるけど、全体を見れば素晴らしいものだと言える。ところで、前田敦子って誰さ?
     
  • これはスゴイ。日本人がインドネシアのことを気にかけていたとは。
     
  • 俺は小学校で教わったよ!
     
  • 俺も中学校で教わった事があるよ!
     
  • 俺もこのスレの内容を教わった事があるよ。彼はインドネシアの独立に非常な貢献を果たした人物で、日本側にさとられないように独立宣言文を起草するために自宅を提供したって聞いてるけど、これで当ってる?
     
  • このスレからは色々と教わった。インドネシアを支配する側にも英雄が存在していたという事なんだね。
     
  • 高校の授業でしっかりと教わってるよ。スレを読んでたら、高校時代を思い出しちまったぜ。
     
  • 前田少将がインドネシアの英雄であることは明らかだ!
     
  • インドネシアの独立に深い関心を持っていた前田少将に感謝したい。彼がいなければ、おそらくあの時、インドネシアの独立は果たされなかったのではないのだろうか…
     
  • 質問なんだけど、当時の大日本帝国は、前田少将が行なった「反逆」を知っていたのかな?
     
  • 前田少将はインドネシアの側から見れば「英雄」だけど、日本の立場で見れば「国賊」に値するだろね。まあ、いずれにしても、彼がインドネシア人である俺にとっての英雄であることには変わりはないのだけど…
     
  • 彼は日本人にとっては裏切り者と呼ばれる存在なのだろうか…?
     
  • 8月17日は俺にとっては独立記念日ではなく、インドネシアの独立が宣言された日だ。そう、1945年8月17日以降、インドネシアには複数の国々との戦争が待っていたのだから。ましてや、現在のインドネシアでも、内戦、汚職に対する闘い、教育や思想に対する闘いなど、数多くの「戦争」が残されている。独立に向けた先人たちの闘いは未だ終わりを迎えてはいない。
     
  • 前田少将、arigatou gozaimasu!
     
  • インドネシアの独立を支えた人物のひとりだな。俺たちも義務として彼の貢献を思い起こすべきだ。
     
  • 前田少将はスゴイ人なんだな。インドネシア人ではないのに、あれだけのことができるなんて。
     
  • インドネシアの独立を支援したのか。彼の行為は日本に対する裏切りにならないのかな?
     
  • 俺は前田少将の名前は聞いたことがあるんだけど、それほど深くは知らなかったな…
     
  • 素晴らしいエピソードだ。インドネシア独立に関する知識が増えたし、自分の学校時代の授業を思い出した。前田氏にもありがとうと言いたい。
     
  • 俺はインドネシアの独立は我が国の英雄たちの闘争の上に果たされたものだと思う。しかし、同時に前田少将の貢献には感謝を表明したい。
     
  • スレを読んで、学校の授業を思い出した。でも、俺たちが学校で学ぶ歴史は必ずしも全てが正しいとは限らない…


実際に旧前田邸を訪問した方から、ツイッターを通じて以下のようなコメントを頂きました。


【管理人コメント】
人気スレッドです。スレについたコメントはその大半が、前田少将のインドネシア独立に対する貢献を(非常に)肯定的に捉える内容でした。前田精少将の名前はインドネシアの学校教科書では(程度の差はあれ)大抵は登場すると思いますが、スレを読む限りでは、前田少将に対する各学校での取り上げ方には差が出ていたようです。

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