インドネシアのネット掲示板に「五輪真弓の『心の友』に隠された真実」というスレッドが立っていたのでご紹介します。
「五輪真弓が歌う「心の友」がインドネシアで大ヒットしたのは今から30年前のこと。当時は「心の友」を知らないインドネシア人はいないと言われたほどの人気ぶりでしたが、今時のインドネシアの若者はこの曲のことを知っているのでしょうか」
これは以前に当ブログで紹介した「五輪真弓の隠れた名曲「心の友」は今でもインドネシアで人気があるのか?」という記事の冒頭部分です。実は今月中旬に、この記事で紹介した文章を引用したスレッドがインドネシアのネット掲示板に立てられ、かなりの反響がありました。以下に、最近の傾向としてご紹介します。
五輪真弓-心の友
作詞・作曲:五輪真弓
あなたから苦しみを奪えたその時
私にも生きてゆく勇気が湧いてくる
あなたと出会うまでは孤独なさすらい人
その手のぬくもりを 感じさせて
愛はいつもララバイ
旅に疲れた時
ただ心の友と
私を呼んで
信じあう心さえどこかに忘れて
人は何故 過ぎた日の幸せ追いかける
静かにまぶた閉じて心のドアを開き
私をつかんだら 涙ふいて
愛はいつもララバイ
あなたが弱い時
ただ心の友と
私を呼んで
愛はいつもララバイ
旅に疲れた
ただ心の友と
私を呼んで
★「Kokoro no Tomo」ってどんな意味なの?
「心の友」は日本の往年の名曲で、歌詞も素晴らしい。「Kokoro」は「心」を意味する。「Tomo」は「友人」という意味だが、より大胆に解釈するならば「恋人」という意味も持っている。
★なんと日本人は「心の友」を知らなかった!なんでなの?
五輪真弓は1980年代に非常に人気を博した歌手の一人だが、現在の日本人(特に若い世代)では-彼女のファンをのぞいて-「心の友」を知る人はほとんどいないと言っていい。
なぜ「心の友」は日本ではほとんど知られていないのだろうか。その理由のひとつとして、シングル曲としてマスメディアを通じた宣伝が行われなかったことが挙げられる。1982年発表のアルバム「潮騒」に収録された「心の友」はラジオやテレビなど放送される機会がほとんどなかった。そのため、「心の友」は五輪真弓のアルバムを購入したり、コンサートに参加したファンのみに知られる隠れた名曲となったのだ。
★「心の友」のインドネシアでの人気
日本ではほとんど知られることのなかった「心の友」が、インドネシアでは大ヒットを記録した。五輪真弓自身、インドネシアでの「心の友」の人気に多少の戸惑いと驚きを覚えている。自身の公式サイトに掲載された毎日新聞のインタビューで、五輪真弓は以下のように答えている。
-インドネシアにも行きましたね。
「ええ、ジャカルタ。あれは産後すぐで。私が休業中に起こった現象で。行ってもいないのに有名になっちゃったんです。今度は『心の友』で」
※注:五輪真弓は1986年にジャカルタでソロコンサートを開催している。
-向こうの子があなたを指さして...
「私が街を歩いていると、『コッコロノトモ』。税関行っても『コッコロノトモ』(笑)。日本語なのに、どうしてあれほどヒットしたのか、いまだにわからないですけどね」
しかし、彼女は同じインタビューの中で、インドネシアにおける「心の友」の人気について説明を試みている。「日本語の歌が(インドネシアで)受け入れられたのは、人々が歌詞ではなく、その曲が表現する本当の気持ちや感情を理解してくれたからでしょう」。これは歌手として誇りに思うべきことだろう。
★「心の友」は五輪真弓にとって思い出の曲だった?
これに関連して、ひとつの興味深いエピソードがある。前述の通り、「心の友」はシングルとして発売された曲ではない。しかし、五輪真弓はインドネシアでヒットを記録した後、1987年の紅白歌合戦でも「心の友」を披露しているのだ。
紅白歌合戦は毎年大晦日に放送される音楽番組で、一般に「紅白」と省略されることが多い。日本のミュージシャンにとって、1951年から放映が開始された この国民的番組に出演することは歌手として最も名誉なことのひとつとされている。
その当時の歌手にとって、紅白歌合戦は最も名誉ある舞台のひとつである。1987年の「紅白」で五輪真弓はなぜ、1982年に発表した「心の友」を披露したのだろうか(紅白では普通、その年のヒット曲を歌う)。この疑問については当然ながら、はっきりとした回答は用意されていない。しかし、五輪真弓自身、「心の友」という曲がインドネシアの人々に受け入れられたことをひとりの歌手として誇りに感じていたように見受けられる。紅白での披露は、「心の友」を気に入ってくれたインドネシアに人々に対する感謝の現れだったのではないだろうか。
「心の友」は日本の往年の名曲で、歌詞も素晴らしい。「Kokoro」は「心」を意味する。「Tomo」は「友人」という意味だが、より大胆に解釈するならば「恋人」という意味も持っている。
★なんと日本人は「心の友」を知らなかった!なんでなの?
五輪真弓は1980年代に非常に人気を博した歌手の一人だが、現在の日本人(特に若い世代)では-彼女のファンをのぞいて-「心の友」を知る人はほとんどいないと言っていい。
なぜ「心の友」は日本ではほとんど知られていないのだろうか。その理由のひとつとして、シングル曲としてマスメディアを通じた宣伝が行われなかったことが挙げられる。1982年発表のアルバム「潮騒」に収録された「心の友」はラジオやテレビなど放送される機会がほとんどなかった。そのため、「心の友」は五輪真弓のアルバムを購入したり、コンサートに参加したファンのみに知られる隠れた名曲となったのだ。
★「心の友」のインドネシアでの人気
日本ではほとんど知られることのなかった「心の友」が、インドネシアでは大ヒットを記録した。五輪真弓自身、インドネシアでの「心の友」の人気に多少の戸惑いと驚きを覚えている。自身の公式サイトに掲載された毎日新聞のインタビューで、五輪真弓は以下のように答えている。
-インドネシアにも行きましたね。
「ええ、ジャカルタ。あれは産後すぐで。私が休業中に起こった現象で。行ってもいないのに有名になっちゃったんです。今度は『心の友』で」
※注:五輪真弓は1986年にジャカルタでソロコンサートを開催している。
-向こうの子があなたを指さして...
「私が街を歩いていると、『コッコロノトモ』。税関行っても『コッコロノトモ』(笑)。日本語なのに、どうしてあれほどヒットしたのか、いまだにわからないですけどね」
しかし、彼女は同じインタビューの中で、インドネシアにおける「心の友」の人気について説明を試みている。「日本語の歌が(インドネシアで)受け入れられたのは、人々が歌詞ではなく、その曲が表現する本当の気持ちや感情を理解してくれたからでしょう」。これは歌手として誇りに思うべきことだろう。
★「心の友」は五輪真弓にとって思い出の曲だった?
これに関連して、ひとつの興味深いエピソードがある。前述の通り、「心の友」はシングルとして発売された曲ではない。しかし、五輪真弓はインドネシアでヒットを記録した後、1987年の紅白歌合戦でも「心の友」を披露しているのだ。
紅白歌合戦は毎年大晦日に放送される音楽番組で、一般に「紅白」と省略されることが多い。日本のミュージシャンにとって、1951年から放映が開始された この国民的番組に出演することは歌手として最も名誉なことのひとつとされている。
その当時の歌手にとって、紅白歌合戦は最も名誉ある舞台のひとつである。1987年の「紅白」で五輪真弓はなぜ、1982年に発表した「心の友」を披露したのだろうか(紅白では普通、その年のヒット曲を歌う)。この疑問については当然ながら、はっきりとした回答は用意されていない。しかし、五輪真弓自身、「心の友」という曲がインドネシアの人々に受け入れられたことをひとりの歌手として誇りに感じていたように見受けられる。紅白での披露は、「心の友」を気に入ってくれたインドネシアに人々に対する感謝の現れだったのではないだろうか。
インドネシアの歌手デロンとコラボする五輪真弓
2011年のヒット曲「Kokoro no Tomo」ロック(?)バージョン
「心の友」-インドネシア伝統歌謡バージョン
インドネシア人の反応
↓↓↓↓↓↓
- 昔は本当によくこの曲を聞いていたものだ。
- この曲は実に良く耳に馴染むからなあ。俺が初めて聞いたのは、メトロTVで放送してる「Kokoro no Tomo」という番組でカバーがかかっていた時だな。
- 日本の曲の中で一番好き。
- 中学校の頃、音楽の授業でこの曲を歌うように先生に言われたことある。
- 日本の歌手が歌ってるのに、日本ではほとんど知られていないってのが俺には信じられない...
- 全く持ってその通り!この曲はインドネシアではものすごく人気がある。俺が中学2年生の頃、音楽の授業でこの曲を覚えてくるようにと先生に言われたこともあるくらいだし。本当に人気だったね。
- 俺のお気に入りの曲。でも、歌詞の意味は分からない...
- 俺もこの曲が大好きだよ。日本を紹介する番組でいつもかかってるよね!
- この曲を初めて聞いたのは2000年代に入ってからだな。そんなに昔の曲だとは思いもしなかったよ。
- 良い曲だね。俺がまだ小学生の頃、ディエン高原へ出かける時によくおじさんがかけてたよ。
- 俺が初めて聞いた日本の歌だな。あの頃が懐かしいぜ。
- 俺の奥さんが大好きな曲。まだ付き合っていた頃は、2人でこの曲をしょっちゅうかけていたな。このスレのおかげで、あの頃の思い出がよみがえったよ。ありがとう!
- この曲を小学校から大学卒業まで聞き続けてるけど、今でも変わらず大好きだ!
- 俺もこの曲を知ってる!子供の頃に祖父さんから教わったんだ(笑)。曲は今でもパソコンに入ってるよ。
- これこれ、俺の携帯の着メロ...(笑)
- 五輪真弓なら「雨宿り」も素晴らしい曲だと思う。
- この曲は本当に大好き。俺は21歳の男だから、俺が生まれる前くらいの曲だけどね。今でも携帯に入れてるよ。
- この曲、大好き。歌詞の意味は分からなかったけど、ものすごく感情に訴えかけるものがあった。今では歌詞の意味を理解して、さらにこの曲のことが好きなった。
- 俺は90年代の生まれだけど、この曲を聞いたことがあるよ。落ち着いたメロディーだし、いい曲だと思う。昔はアラビア語の歌だと思ってたけど(笑)。
- 俺の大好きな曲だよ。今はメトロTVの番組でもテーマソングになってるよね。
- 俺はこの曲の歌詞も暗記してるよ。子供の頃にカラオケで歌いまくっていたからね。ついでに、俺のおばさんなんかは、この曲がきっかけで日本人の恋人ができたりもしていたな。とある集まりでおばさんが心の友を歌ったら、その日本人が感銘を受けて、おばさんに一目ぼれしたそうだ。
- 俺が中学校の頃の課題曲だったな。この曲を覚えなきゃ、日本語の授業で試験をパスできなかった。
- 俺も心の友が大好き。昔、日本の曲がたくさん入ったアルバムを買ったんだけど、その中にこの曲が入ってたんだ。本当にいい曲だよね。俺は歌詞じゃなくて、メロディーを聞いて曲が好きになるから、歌詞の意味が分からなくても、すぐにこの曲が大好きになったよ(笑)
- 俺もこの曲が好きで、歌詞は分からないけど歌っていた。最近歌詞の意味を知って、実は歌詞も素晴らしかったんだなって驚いている(笑)
- この曲は耳に馴染むメロディーだよね。メトロTVやってる「Kokoro no Tomo」っていう番組を見て初めて知ったよ。
- この曲はかなり前にインドネシアの人気テレビドラマ「Losmen」で歌われたこともあるよ。「Losmen」は当時、並ぶものがないくらいものすごい人気でファンもたくさんいた。
- 俺が高校生の頃の曲。あの頃はスゴイ流行ってたし、五輪真弓もジャカルタでコンサートをやっていたなあ。
- 俺が知ってる唯一の日本語の曲。あの頃は俺はまだ生まれていなかったというのに(笑)
- 心の友!中学校時代の曲だな。あの頃はこの曲を使ってひらがなを暗記しようと頑張ってたな...
- 小さい頃から本当にしょっちゅうこの曲を聞いてきたし、それは今でも変わらない。耳にとてもよく馴染むし、実に印象深い曲だと思う。
- 俺もこの曲が好きだよ。昔は歌詞の意味は分からなかったけど、あの歌い方は俺の感情にものすごい訴えかけてくるんだ。
2013年2月からインドネシアのメトロTVで放送されている日本紹介番組「Kokoro no Tomo」。テーマソングとして五輪真弓の「心の友」をアレンジした曲が使われています。同番組の公式フェイスブックページによると、「Kokoro No Tomo Season3」が2014年8月23日から毎週土曜日に放送が予定されています。
※今年三月には川畑要(CHEMISTRY)が歌う「心の友」が上記の番組で流されたそうです。
【管理人コメント】
大人気スレッドです。相変わらず「心の友」はインドネシアで根強い人気を誇っていますね。最近ではメトロTVで放映中の番組で「心の友」を知ったという人も多いようです。ところで、僕がインドネシアに留学した時、パプアニューギニアから来たクラスメイトがいたのですが、彼に「日本から来た」と自己紹介したら、「日本か。心の友だね。父さんがよく聞いていたから知ってるよ。俺も大好きな曲なんだ」と言われて驚いたことがあります。
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★五輪真弓の隠れた名曲「心の友」は今でもインドネシアで人気があるのか?
コメント
コメント一覧 (25)
ところで、インドネシアの人は「モスラの歌」を知っているのだろうか?
あれは、確かインドネシアの言葉の筈だが…
インドネシアのTVで流れているのを観たことがありますし、ジャカルタで道を歩いていたら「心の友」を鼻歌で歌っていた人も見かけたことがあります。そして、普通に日本語で歌っています。日本では本当にマイナーな歌ですが、インドネシアでは子供からお年寄りまでメジャーな歌です。
ここまで有名だと、知らないままインドネシアに遊びには行かない方がいいかも?
もし歌をご存じないない方がいらっしゃいましたら、ぜひ聞いてみることをお勧めしたいです。インドネシアとかかわりを持っている、またはこれからかかわりができる方は必須です!
なら結構知ってる人居るのでは
とっても素朴でやさしい感じがする
五輪真弓はもっと評価されてもいいよね
「恋人よ」は今でも聞くと心に突き刺さるわ
今だと流行りそうにないなと思ったけど
耳に残るね。
それにほのかな懐かしさと安心感を得られた気がする。
メロディーラインや歌詞の響きがインドネシアの歌謡曲と
どこか似通った部分があるから、と友人は言っていたよ。
日本人の曲なのに何か不思議な感覚
いったい五輪真弓のなにがそんなに東南アジア好みなのかよくわからんのだけど。
人気ある曲は各国パラパラだし、やっぱり一番の特徴であるカレンカーペンターズにも似た、稀に見る優れた声質なんかねえ。
彼女が日本人シンガーのなかでいち早く海外レコーディングしたり海外レーベルと次々に契約できたのも、あの滅多にない声質にみんな惚れ込んだからなわけだし。
似たような例だと、坂本九がアメリカで「上を向いて歩こう」でヒットを飛ばしたのに近いのかな?まああれは日本でもかなり売れた曲だけど
「時の流れに~鳥になれ」だなあ。
あの時代で並べあげるなら、テレサ・テンもだな。
子供のころお父さんがステレオルームでよく流してた
「時の流れに~鳥になれ」と「さよならだけは言わないで」が好きだった。
声質と歌唱力は抜群だし、作曲の才能はすごいと思う。イントロからやられる感じ。
シンガーソングライターとしての才能は日本の女性で一番だと個人的に思ってるけど、プロデュースのうまいユーミンが同時代にいたせいか、本人の性格か、メジャー最前線には来なかったんだよね。
でも、インドネシアでシングルリリースされてない曲がこんなにも有名で人気があるのはホントに不思議。
日本では「五輪節」の利いた声量たっぷりに歌い上げる歌の方が人気があると思うけど、インドネシアの人の感性に、ライトで優しいメロディと美しい声がマッチしたのかな。
インドネシアで人気とはインドネシアの人たちいいセンスしてるな
こういう素朴だけど味わい深い歌詞な曲がまた出てきてほしいんだが……
(・・ジャイアン?)
と思ったのは俺だけじゃないよな?
頭の中ですぐ変換された言葉 オリンピック真弓 きっとオリンピック招致マスコットだろう?って思ってた
心の友よ 俺もだ!
日本について知っていることを聞いたらなぜかみんな日本語の歌を歌い出したそうです。きっとkokoro no tomoでしょうね。
ところでハルカの取材はしたんだろうか?
フジTVのHP
「みどころ
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インドネシアの魅力満載でお送りする!」
『心の友』は、インドネシア人の友人達とよく歌ったよ。
歌ってて、彼らの嬉しそうな顔を見て、泣けてしまった。
今度、もしインドネシアに行く機会があったら、
現地で知り合う人達と、日本語とインドネシア語で歌いたいな。
>>※1
モスラの歌を訳しているページがあった。
ttp://tamah.web.fc2.com/zak/tex/001.html
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