j5-min

インドネシア・テンポ誌「慰安婦」特集号(1992年7月25日)「日本政府の言い逃れができなくなった後で(Setelah Pemerintah Jepang Tak Bisa Mengelak Lagi)」の翻訳です。日本政府が慰安所の設立等において軍部の関与を公的に認めた1992年7月の談話を念頭に、韓国とインドネシアの事例を踏まえて「慰安婦」問題を概観しています。

日本政府の言い逃れができなくなった後で
テンポ誌(1992年7月25日) 
 
自国兵士向けの慰安所の設置に関する旧日本軍の関与が、今回新たに発見された127の公文書によって最終的に証明された。6名の韓国人元慰安婦たちはすでに賠償請求を申し立てている。

韓国人女性たちがついに歴史を正した。加藤紘一官房長官は第二次世界大戦時に日本兵のために慰安婦を調達した件に関して、日本軍の関与を認めた。

しかし、加藤は依然として日本の面子を保とうとしている。「これまでのところ」と加藤は話す。「慰安婦らに対する強制性を証明した書類は見つかっていない」。韓国人女性らの弁護団はこの発言を直ちに否定した。彼らはこの点に関して裁判で証拠を争い、証言を行う用意があるとしている。

宮沢喜一首相は弁明をしようとはしなかった。先週土曜日、宮沢は数百名の韓国人女性に対して大日本帝国軍が行なった行為のをつぐなう措置をとると言明している。「私たちが行なった事は許されることではなく、強く非難されるべきもの」と宮沢は記者に語った。

宮沢が今後 その罪をあがなうためにどのような行動をとるかは定かではない。しかし、昨年末以来、従軍慰安婦とされた韓国人女性は賠償金の支払いを求めてきた。

当初は(慰安婦とされた)複数の韓国人女性がすでに亡くなりつつあり、苦しみに耐えていると報道された。彼女たちは亡くなる前に日本を提訴する必要性を感じていた。2年前には、当時の彼女たちの願いを受けて、韓国人女性らによる日本大使館前のデモが行われた。この運動は韓国太平洋戦争犠牲者遺族会に引き継がれた。同会は東京に代表団を送り、1991年上旬には東京地方裁判所を通じて日本政府を提訴した。裁判では3人の韓国人従軍慰安婦の証言があった。

この件に対して日本政府の積極的な対応は見られない。「これは民間業者によって行われたものであり、政府の案件ではない」と当時の日本政府報道官は語った。

j1-min
日本の進駐を歓迎するインドネシア人女性
強制と自発の間で 

しかし、歴史を専門とする中央大学の吉見義明は今年1月、従軍慰安婦の募集に関して旧日本軍の関与を示す新たな証拠を発見した。この発見は朝日新聞紙上で報じられ、中でも北志那方面軍参謀長の通牒の写しがつづられた1938年の歩兵第四十一連隊の陣中日誌では明らかに、占領地域内において慰安所を設置する必要があるとの記述が見られる。

この記事は宮沢首相の訪韓5日前に発表されたが、日本政府にとって驚くべき内容だった。宮沢は盧泰愚大統領との会談で繰り返し謝罪を表明し、この件に関して旧日本軍の関与を調査すると約束した。この問題に関する特別調査班がその後ただちに結成された。

j2-min
宮沢喜一(左)、4つの官庁で発見された日本軍の慰安所に関する資料(右)

特別調査班による半年の調査期間を経て、4つの政府機関、すなわち防衛庁、厚生省、外務省、文部省から127点の関係資料が発見された。これらの資料から、韓国・朝鮮人女性だけではなく、中国、台湾、フィリピン、インドネシアの女性たちも売春婦として働かされていたことが判明した。

関係資料には日本軍が慰安所を設立した複数の理由が記されていた。例えば、日本兵による現地女性に対する強姦の発生を防止するため、日本兵のモラルを保つため、性病の蔓延を防ぐため、といったものだ。これら127点の関係資料のうち4点から、200人以上のインドネシア人女性が関わっていたことが明らかになった。

これまでに9人の元従軍慰安婦が各々2千万円(およそ3億2千ルピア)の補償を求めて、東京地方裁判所に提訴している。うち3人は今年6月上旬に証言を行なった。証言者のひとりは他人に知られないようにキミコ・カネダ(Kimiko Kaneda)という仮名を使い、カツラとサングラスを着用していた。「会社の同僚たちに知られれば、恥ずかしさで退職を余儀なくされる」と現在70歳になる女性は語った。

j4-min
日本軍-慰安所設立という命令を受けていた

韓国政府がここ4か月で行なった調査には、元慰安婦とされる151人の女性が記録されている。そのうち存命は74人、残りは他界したと報告されている。台湾では225人の女性が日本兵の元慰安婦として登録されている。

インドネシアでは6万人の元慰安婦が存在すると推定されている。「しかし、存命するのはそのうちのわずか25パーセントです。どこにいるのかも分かっていません」と「元兵補連絡中央協議会」会長のタスリップ・ラハルジョ(S. Tasrip Rahardjo)は語った。タスリップが言及した25パーセントという数字の根拠は定かではない。タスリップは来月8月にも東京へ赴き、元慰安婦らの名義で日本政府に対して総額7億ドルの補償を請求するつもりであるという。

前述の韓国人女性9名の弁護団代表を務める高木健一によれば、彼らが行なっている日本の裁判所を通じた訴えは国際法に明記されたものではない。しかし、日本側の謝罪‐2年前の明仁天皇、その後は海部首相と現在の宮沢首相-は基本的人権の侵害を日本が認めたものだと解釈できるという。「この基本的人権の侵害こそが、私たちが裁判を通じて訴えているものです」と高木は話した。

国際法を専門とするコマル・カンタアットマジャ(Komar Kantaatmadja)教授は、1958年にスバンドリオ(Subandrio、インドネシア外相)と藤山(日本外相)の間で調印された戦時賠償協定に全てが含まれているため、インドネシアの被害者たちの訴えは無駄足に終わるだろうと指摘する。この条約において、日本側は12年間で総額830億円超を12年間の期間内で分割して支払うとされた。インドネシア国民の損害と苦痛に対する補償はこの中に含まれている。

この姿勢は日本の官房長官が現在でも韓国人女性の訴えに対して示しているものだ。日本は1951年にサンフランシスコで調印された戦時賠償協定を通じて、韓国に対する損害賠償の支払いを済ませているという。

戦時賠償の問題に繰り返し言及するまでもなく、インドネシアのムルディオノ(Moerdiono)国家官房長官にも訴え出る意思は感じられない。「過去のことは忘れたい」とムルディオノはテンポ誌記者のリンダ・ジャリル(Linda Djalil)に語った。

インドネシア外務省も賠償問題の件を何度も持ち出すことはなかったが、先週にはインドネシアの従軍慰安婦問題に決着をつけるように日本政府に促している。

韓国人女性らが取ってきた方法は仮にインドネシア女性やその他誰であっても賠償を求める場合には手本にするべきものだろう。

【管理人コメント】
1992年7月の特集記事です。記事中のインドネシア人慰安婦が6万人いたという推定の根拠は僕の知る限りでは定かではありません。関連する情報をお持ちの方からのご連絡をお待ちしています。今回紹介した特集におけるインドネシアの事例に関しては、以下の関連記事にまとめてあります。

【関連記事】
インドネシアは「従軍慰安婦」問題をどう報じたのか?-1992年『テンポ』誌「慰安婦」特集記事まとめ